2010年6月11日金曜日

思考が人生を創り、感情が運命を左右する

『中村天風』という方をご存知ですか?
私はつい最近知りました。

この方を師事していた代表的な人物の中には、東郷平八郎氏、稲盛和夫氏、松下幸之助氏、広岡達郎氏、等々、数多くの知識人、著名人がいます。


中村天風氏の哲学の中に

『思考が人生を創り、感情が運命を左右する。だからこそ思考を積極化することが人生を創り変える事に通じ感情を統御することが自らの運命を自らの手で拓くことになる』

というものがあります。
これ以外にも、心に響く言葉が多くあり、書き出すとキリがないほどです。


最近ではプラス思考という考えが定着してきましたが、その場しのぎのプラス思考ではなく、自分の人生を豊かにする積極的なプラス思考で毎日楽しく過ごしたいなと思う今日この頃です。

tomino

2010年6月9日水曜日

過労死訴訟:「日本海庄や」社長らに7860万円賠償命令

まずは、毎日新聞(毎日.JP)の記事の引用です。

07年8月に突然死した飲食店チェーン「日本海庄や」従業員、吹上元康さん(当時24歳)の両親が、過重な時間外労働が原因だとして、経営する「大 庄」(東京都大田区)と平辰社長ら役員4人に約1億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が25日、京都地裁であった。大島真一裁判長は同社の安全配慮義務違反 を認め、連帯して約7860万円を支払うよう命じた。

 原告代理人の松丸正弁護士は「こうした訴訟で役員ら個人の責任を認めるのは珍しい」と話している。

 判決によると、吹上さんは07年4月に入社し、大津市の石山駅店で調理や接客を担当。出勤日は午前8時半から午後11時まで働き、死亡前4カ月間の月平 均時間外労働は過労死の認定基準(月80時間)を超える112時間に上っていた。

 同社は基本給に時間外労働80時間分を組み込むシステムを採用。大島裁判長は「到底、労働者の生命・健康に配慮しているとは言えない」と指摘し、社長ら 役員について「悪意か重大な過失で、そのような体制をとっていた」とした。

 大津労働基準監督署は08年12月、死亡と業務の因果関係を認めて労災認定し、09年4月には大庄と石山駅店長を労働基準法違反容疑で書類送検してい る。

~以降略~

今回の判決での注目点は以下の2つです。

・労災補償が給付されるのとは別に、役員4名の個人に対して7,860万円の賠償命令が下った。

・基本給に時間外手当80時間が組み込まれるシステムが、安全配慮義務違反の根拠の一つとなった。

今回、雇用主は『法人』たる株式会社大庄です。

にも関わらず、役員4名の個人に対して賠償命令が下ったわけです。

しかも、今回は、労災認定がなされています。

労災保険の給付がある上に、上乗せとして、賠償命令になっているわけです。

本文中にもありますが、それだけ悪質だと判断されたということでしょう。

その悪質さの要因のひとつが、時間外手当80時間が組み込まれるシステムだったような報道の仕方になっています。

判決の原文を見ているわけではありませんので、なんとも言えませんが、システムそのものよりも、その実態に問題があったように感じます。

死亡前4ヶ月の時間外労働の平均が112時間だったとのこと。

休みを4日取っていれば、1日12時間超の労働。

もしかすると、労働時間の算定の仕方でこうなっているだけで、もしかすると、カウントされていない労働がもっとあったのかもしれません。

定額の時間外手当80時間というのも、もちろん良い制度とは言いません。

できれば、36協定の限度時間である45時間に抑えることがベターなのは間違いありません。

しかし、制度自体が悪いかどうかという考え方で言うと、それよりも、個々の労働者の心身の健康状態を確認する仕組みがなかったこと、80時間が当たり前 (もっとも多いのが当たり前だったかもしれません。)と捉えて、時間外労働の削減に動かなかったことが、悪意的と判断された要因ではないでしょうか?

今、残業代不払請求対策ということでお話をさせていただく機会が増えているのですが、その中で、残業の実時間数を減らす取り組みの重要性もご説明させてい ただいています。

もちろん、全て時間で計れるものではないと私も思っています。

労働内容によっては、職種や職責によっては、労働時間の管理をされることが面倒でたまらない人もいるでしょう。

ちなみに、私も、時間外労働を制限されると困ってしまいます…。

しかし、少なくとも健康状態を把握して、それに応じた対応をすることは、今後企業にとって重要な課題になってきます。

残業代不払請求対策のその奥に、より難しいメンタルヘルスの問題が立ちはだかっていることを、まだ多くの経営者がご存知ないかもしれません。

こうした裁判が起きない状況を作り出していくことが、誰にとっても一番大切だと思わせられた裁判でした。